attention: 舞台/ドラマ カミシモパロディ。
この先:関係者様以外かつ現実と妄想の区別がつく大人の方だけお進みください。
飯田スグルの優雅な日常
帰りたい。俺たちはいつだってどこかに帰りたい。
なんでもいい。どこでもいい。
どこかに行きたい。
変わりたい。
俺比、クソ退屈な時にこそ押し寄せるのがこの波なんだ。
そう、この湘南の荒波のように。
「140番」
お、兄さんイカつい眉毛の割にピースかい。今日の空みたいな快晴の日をピーカンなんて呼ぶけども、その語源はこのタバコから由来をもつのさ。そら、僕に出会えたことでお兄さんは1つ賢くなった。この世の妙を読み解く鍵のひとつを錬成するに至ったんだ。握手しよう。心持つ同志に乾杯。
「お返し400円です…アリアッシター」
タバコの番号を読み上げることしか許されない紺色ポリエステルのちょっと泥に汚れた背中に似崩れた形式的な挨拶を投げかける。
海風のせいか開ききるとき「ギィッ」と音を立てる自動ドアの向こうに相模の海が少しだけ見える。ここ、パーリーな風も吹き止んだ晩夏の湘南で、飯田スグルは今日も淡々とコンビニバイトに精を出している。
専門学校でイラストを学び、なんだかすごいイラストで国内外にてバチコン売れまくる海際の田舎町出身のアーティストを目指して生きている若者である。飯田スグル。現在「専門学校でイラストを学び」と「海際の田舎出身」の部分のみ実現中。
特に勉学に意欲があるわけでもなく、かといって高卒で何かに傾倒邁進して生きていくほどの気合いもなく、ちょっとの表現欲と唯一の特技と言えなくもない絵を描くスキルをチケットがわりに学歴社会に乗り出すべく入った専門学校に通いながら、なけなしの意欲で履歴書を書き今は経験値と給料稼ぎのためのコンビニで品出しレジ打ちに励む日々。
要するに絶賛退屈で鬱屈。
ウィン、ティロリロリリン、ギィ。
お、今日もきたか『魚肉』。
「ッシャーセー」
最近は慣れてきたおかげか、客の様子をゆったり観察する余裕ができてきている。石の上にも三年。しみったれたコンビニにも半年。これはいつか新進気鋭アーティストとしてアナZースカイに出るときのためにメモしておく。
『魚肉』は、平日の昼前によく来る。パッと見、上背はありつつナヨッとした体つきにしっかり撫でつけた栗色の髪、常に襟付きシャツとスキニーという出で立ちから、インテリ系の浪人生かなにかとあたりをつけていた。同世代?故のちょっとした対抗心からここ最近観察を続けている。
読者諸君はご存知のことだと思うが、コンビニ店員というのは往々にして常連客にオリジナルの呼称を付与している。それはスタッフ間での真面目な連絡のためのコードネームとしてでもあるし、こうして人の少ない昼間のコンビニ勤務を彩る人間観察のための識別符でもある。
『魚肉』は入り口のマットの上で一瞬立ち止まり、すい、と首だけで雑誌のコーナーを見ると、続いて肩からくるりと同じ方向へ向けて進み始めた。このよくできたロボットみたいな動きがやつの特徴である。
雑誌コーナーの前を横目に眺めながらエロ本コーナーの前を反対側に曲がる。アイスの冷蔵庫には目もくれずにドリンク棚前を横切り、チーズやらつまみやらの前でピタリと止まる。ここまで間約30秒。キュイ、と音がしそうな無駄のなさで下を向くと、そこにあるのは棚の陰に置かれた3本綴りのおさかなソーセージ。
それをひとつ手に取ると再びキュイ、と姿勢を戻す。
『魚肉』が魚肉たる所以はこれだ。週3日程度のペースで平日昼12時ごろ、決まって三本綴りのおさかなソーセージとドリンクヨーグルトだけ買っていく。ただそれだけの存在だが、暇なコンビニ店員には一種のエンターテイメント。何せお客の着て来たジャケットの話題でその週のシフトペア相手全員と会話ができる。田舎のコンビニバイトとはいかにさっさとベーススキルを身に着けて誇張妄想能力に特化するかが金をもらいつつ安楽な時間を手にできる鍵である。
そうしている間に『魚肉』はレジへとやってきた。僕はさも善良なイチ店員としてカウンターを挟んで形式的な笑顔と共に待機姿勢でやつを待ち受ける。
「これと、これと、これ。お願いします。」
カウンターの上に等間隔に置かれるおさかなソーセージといちごドリンクヨーグルトと、ハムカツサンド。
ハムカツサンド?
「以上三点で618円にナリャース…電子マネースネーそちらでスキャンお願いシャース…アリヤタアリヤシター」
「どうもありがとうございます」
『魚肉』は見た目の通りにきっちりとした口調で店員の俺にも礼を告げる。ちょっと癖あるなこいつの会釈。
というか仲間たちよ。同じコンビニに集いし給料とバイト経験を積むためだけに労働という試練に身をやつす我が同志たちよ。『魚肉』が魚肉以外の食料を買ったぞ。ダイエット中の女子のような糖質カットコンビばかりで気になってたんだ。ハムカツサンドか。そうか、お前ちゃんと揚げ物も炭水化物も摂取できるんだな。なんか感慨深いわ。
退屈過ぎて深くへ潜る俺の『魚肉』を巡る意識に、入り口のドアがギィ、と現実への帰還を促した。
◆
金曜日。高校生バイトの永島くんが学校帰りに出勤してくる時間になった。
彼は部活には所属せずバイトと趣味に打ち込みたいのだと、早朝と週末の夜、コンスタントにシフトインする、実用実績とも当店のアイドルである。痩せ型の小柄に茶っこい跳っ毛に笑うとみえる綺麗な歯。しっかり挨拶もできていざという時すかさずギャグも飛ばせる。これは歳上に可愛がられるタイプだ。高校生で部活に入っていないと言うと、インキャかヤンキーかと思われるかもしれないが、彼のような適度な陽キャも自分のために時間を使える時代になったのは良いことだと思う。昔の陽キャはパブリックであればあるほどいいらしかったからな。
また、永島くんはなぜかバイトに入ることをよく「ログイン」上がることを「ログアウト」と表現する。言い間違えではなくさりげない、彼の中での正解として当てはめられるその単語を、僕はなんだか気に入っていた。彼が実はそこそこフォロワーのいる動画配信者としての地位を確立していてログインログアウトの件はそこ由来の口癖だということを僕は後日知ることになる。
「おはざーっす。飯田さーん、レジ代わりますよ。」
「はよー。まだ引き継ぎ書いてねえからちょっとお願いするわ」
お言葉に甘えバックヤードにさがり、雑に置かれた会議机の前にパイプ椅子を引いて座る。
明日は土曜日。学校の休みに合わせてバイトも休みにさせてもらってる。やっぱり丸一日の休みって必要だよ。神様だって世界を作った後にしっかり休んでいたそうだし。疲れを癒すって言うより気持ちの問題?人間余裕のある脳みそにこそアイデアが湧き出す。
B5の大学ノートを捲りながら眺め見る。特に推敲されるわけじゃないけど年下が見るわけなのでちゃんとした文章にしておきたい。
ノックとともに売り場との扉が開いた。
「ね、ね、飯田さん」
永島くんが顔だけ覗かせて押さえめに声をかけてきた。
「『魚肉』が仲間連れてきてますよ。」
「まじ?」
片手でお礼を言うと永島くんはまたレジに引っ込んでいった。
僕は引き継ぎノートを抱えたまま店内カメラのスイッチャー前へ移動した。
『魚肉』は普段とは違いスナックコーナーにいるようだった。
やつは基本的に昼前に現れる。だが時折、こうして19時過ぎごろに現れる。買うものは変わらない。予備校の帰りだろうか。
ワイン色の襟シャツもボタンを1番上までとめ、唯一の装飾品である腕のバングルも定位置にある。
当人は商品棚を物色することもなくいつもの無表情で佇んでいる。その隣に、誰かがしゃがんでいるのが見えた。
閑話休題、ところで『魚肉』はいわゆる良客である。
無駄に店内に長居することもなく、いつも同じ商品を手に取りまっすぐ購入し、面倒なレジ対応の要求はなく、無駄に絡むことも乱暴な所作もない。そしてちゃんとお礼が言える。そして、これは言っていなかったが結構顔がいい。カメラ越しの横顔はモアイ像のようにカクカクしている。あいにくうちの店舗に女性は居ないためそちら方面での盛り上がりは見込めないわけだが。
『魚肉』の横の魚肉の仲間もどうやら男だ。この角度からは顔までは確認できないが、そちらはしゃがんでポテチを物色しているようだ。
僕は日報のノートを横に押しのけてパイプ椅子から立ち上がった。
在庫の冷蔵庫から最近力を入れているスイーツの商品をカゴに入れて表に出る。この時間帯だと近隣に住む帰りのサラリーマンたちが糖分を求めてプラスアルファ買っていくので結構品薄になりやすい。店内には僕と永島くんと彼らしか居ない。品出しとしては程よいタイミングでおかしなことは特にない。
マジックミラー越しに安全確認をしたら売り場に繰り出す。
「ゲンダさんまだ決まりませんか」
『魚肉』の声が聞こえる。いつもの声色だが、気の知れた相手にかける、少しだけ砕けた不服そうな感情の混じった声だった。
「うーんエネルギー的にはこっちのピザのやつがいいかなって思うんだけど、アマノくんこないだネタ帳汚れないかヒヤヒヤソワソワしてたでしょ。でもうすしおって口の周り痒くなるからあんまり好きじゃないんだよね。とはいえコンソメもなんか想像できる味だから食傷気味っていうか」
「あれ本当にやめてほしいです。かといっていつまでもここで悩まれるのも困ります」
「じゃあアマノくんも一緒に迷ってよ」
「いやですよだって主に食べるの、ゲンダさんじゃないですか」
なんか感動した。あのロボットみたいな『魚肉』がちゃんと人間的な会話をしている。しかも聞いている感じ、やつの方がしっかり者ポジションのようだし。他人って素晴らしいコンテンツだよな。僕は彼の新たな一面に微笑ましさを覚えずに居られない。
ジャンルを確立し価格の高騰と共に最近どんどん凝った装飾になってきたコンビニスイーツ様を崩さないようスイーツ棚に並べながら、聞き耳をそばだてる。
「あの僕、自分の買い物買ってきていいですか」
「いいよー、もう決めるからホントに」
『魚肉』が棚の向こうから回り込んできた。ちょうどそのカーブのところで座りこんでいた僕の後ろを整然とした動きでやつが通過する。いつものようにおさかなソーセージを手に取り、ドリンクヨーグルトの列をちょっと見渡すとキウイのやつを取り早足にレジへ向かう。永島くんの「2点ですねーありがとございやーす」の声が聞こえる。
僕はその背中から目を離し、『魚肉』の仲間『ポテチ』の様子を伺う。やつはコンビニプライベートブランドのサワークリーム味ポテトチップス大袋入りをつかみ立ち上がった。
そのままサンドイッチコーナーでハムカツサンドを手に取ると先ほどのグダグダが嘘のようにレジの方へと向かう。棚の間からレジへ向かう横顔を盗み見る。
一番に目に入ったのは緩くパーマのかかった金髪のボブヘアーだった。身長は『魚肉』の方が少し高いように見えるけど、ガタイは『ポテチ』の方がデカそうだ。赤の革ジャンになんかのバンドTシャツ。イケてるニイチャンって風だ。何仲間?服の系統も違うし髪型や喋り方だって全然違う。
「お前よくそれ食べてるよね。魚肉ソーセージ」
「合成肉にしては美味しいんですよねこれ。」
その言い方やめろ、なんかSFに出てくる近未来のオールペースト定食思い出しちゃうだろ。それともなにか、未来人気取りか。『魚肉』のビニール袋の中を覗き込みながら『ポテチ』も笑う。
「あはは、なにそれ、未来人みたいなこと言うね」
「ングゥ」
ちょっと待て、今の『魚肉』の声か?
◆
『魚肉』の名前はアマノくんと言うらしい。
だからと言って、これから彼のことを我々がそう呼ぶかと言うと、人間観察を第二の使命とするコンビニ店員が扱うコードネームというのはそう簡単に変えられないため、彼はここにくる限りこれからも『魚肉』と呼ばれる。
水曜日。『魚肉』はその日も、おさかなソーセージとパイナップルヨーグルトドリンクを買っていった。
ハムカツサンドを買って行ったのも、『ポテチ』が一緒に来ることも一回きりだった。
コンビニでやつの来店を観察するのみが接点の僕は、日々やつがおさかなソーセージとドリンクヨーグルトを買っていくのを変わらず観察し続けている。こういうのは続けることに意味があるんだ。結果として何が得られるかは僕にもわからない。『魚肉』が買っていくドリンクヨーグルトはキウイが若干多いことしかわからない。
「ッシャーセー」
その日、僕は作画課題のアイデアが降りてこず仕事中なのも関係なく、手元のメモに思考のままペンをなすりつけていた。課題はバトルものの集合絵、つまりたくさんのキャラクターで構成する画面。アニメのOpの最後とか、漫画の新連載扉絵でよくあるやつを想像してもらえばわかるかと思う。ああいうのはただ描けばいいわけじゃない。メインのキャラ、敵キャラ、それぞれのキャラクターのビジュアルや設定をある程度作り込み、目にする人間が画面を通してストーリーを想像できるようになっていないといけない。同級生の中には固定の持ちキャラをラインナップとして持っていて、毎度課題と絡めて物語のように連作しているやつもいる。独自の絵柄を突き詰めて、どんなベタなキャラもそいつが描けばそいつのキャラになってしまうようなタッチを手に入れたやつもいる。
初めのうちは好き勝手かける環境に楽を感じもしていたが、やっぱり次から次へと描き続けているとスランプに苛まれるんだ。要するにネタ切れってやつ。
そう言う意味では、コンビニバイトっていうのはこういう仕事の人間に向いているかも知れない。こうして暇に任せて絵書いてても客がいなければお目溢ししてもらえるし、何よりキャラ作りのための人間観察に事欠かない。まあ、ここみたいに駅から外れた寂れた通りのコンビニなんかだとどっちにしろすぐに弾切れ起こすんだけど。
蒸し器の水滴を眺めながらダラダラうんうん腕を組んでいると、吉田くんがバックヤードからひょっこり顔を覗かせてきた。彼は大学生で、自宅の近いここでは夜勤メインでシフトインしているため連休やこうしてシフトの前後でかちあうことが多い。派手ではないがそばかすとさわやかな短髪と独特な形のインナーシャツが特徴の元野球部青年だ。
「飯田さんはよっす。なんか上がる前でいいから柿輪さんが来てって」
柿輪さんは店長の次に長い正社員スタッフだ。シフトをかわりに作ったりする。37歳。
俺はタイマーをセットしてから蒸し器にメモを貼るとスマホをポケットに突っ込んだ。だれかと代わってとかだろうか。
「柿輪さん?おつかれッス、なんか俺呼ばれたって聞いたんすけど」
「おつかれ、飯田くん、この人今度から入るバイトの人。シフト的に時間被るから紹介しとこうと思って。昼本業あるけど結構入りたいらしい。経験者だって」
「現多英一です。よろしくお願いします。」
end
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